pagetop Top Return
リンク

世界で最もロマンチックでない男性たち
コール・テモテと伊藤正子

「世界で最もロマンチックでない男性たち」と言う見出しに目を引かれ、読売新聞の記事を読みはじめたのです。もう十年近く前なので詳細は覚えていませんが、ロマンス小説を出版しているカナダのハーレクイン社のグローバル・ロマンス・レポートによると、主な先進国の女性にその国の男性を男女関係に関係するニ十数項目で評価してもらったところ、一項目を除いて全ての項目で日本人の男性の点数が一番低かったそうです。それで、「世界で最もロマンチックでない男性」とは日本人の男性のことだったのです。

そのレポートが事実でなければ嬉しいのですが、日本全国で私たちが行っているファミリー・セミナーでもハーレクイン・レポートと同じようなコメントを多くの女性から聞いているのが現実です。よく聞くのは:
「結婚式が終わって突然私と話さなくなった。」
「誕生日や結婚記念日など全然覚えてくれない。」
「仕事が遅くなる時も電話しないし、帰ってきたら「ただいま」すら言わない。」
「家にいても私や子どもたちを完全に無視して、自分のことをかってにやってる。」
「夫に対してもう何も期待しない。期待すると失望するだけ。」

前回のこのコラムでは、夫たちが特に必要としている「尊敬」について考えましたが、残念ながら、日本の夫たちは自分たちの妻たちの尊敬を失っています。そして、その損失の責任と日本の家庭の崩壊の責任の大部分は夫たちの肩に乗っているように感じます。メル・ギブソン主演映画の「ハート・オブ・ウーマン」のストーリーは主役の男性が突然身近の女性の思いを全て聞き取れるようなったため、女性に対する接触が全て変わり、ようやく本当の愛情を見つけた、と言う筋でした。男性が尊敬されたいのなら、そして安定した家庭生活と夫婦関係を望むのであるなら自分の妻の心の思いを聞き取り、何を求めているかを理解し、それを実行することにもっと力を注がなくてはなりません。

しかし、男性はメル・ギブソンの超能力を持っていませんので、女性群に伺い、学なぶしかありません。色々な女性たちのお話を聞くと、彼女らは何よりも、夫の一番愛しているものでありたいことが分かります。つまり夫にとって、自分が、仕事よりも、車よりも、パソコンよりも、他のどの可愛い女の子よりも大切である、と言うことを具体的に表して欲しいと言うことです。ある主婦は自分の父親のことをとても尊敬しているそうです。と言うのは、七十代になっても、今までどおりにお母さまが一番美しいということを常に言ってあげたり、服装のチョイスを誉めたり、どこかから帰る途中には必ず電話を入れて「何か買ってもらいたいものある?」と聞いてあげたりするからです。そのお母さんは常に「王女様気分」でとても幸せだそうです。そのお父さんは明らかに妻の心を本当につかめています。

ところで、妻たちにとって自分が最も愛されていることの具体的な表れは何でしょうか。多くの女性はそれは話を聞いてくれることだと言っています。と言っても話をただ聞き流す聞き方は何の意味もありません。あるいは逆に話の内容に判決をくだしたり、すぐに話している問題の解決案を定義する聞き方も間違いです。大切なのは内容を良く聞き取り、気持ちをよく分かってあげることです。次の会話を例にとり上げましょう。
妻:「今日子どもを新しい小児科の先生に連れて行くのに迷ちゃって30分も遅れちゃった。」
に対して多くの男性はー
夫:「おまえ、またカーナビ使わなかったんだろ。だから早く使い方を覚えろって言ってんだろ。」
と反応しがちですが、そうでなくー
夫:「そうか、子どもが熱だしてるのに迷っちゃうのもあせるよね。しかも、はじめて行くお医者さんに遅れるのも恥ずかしいし。大変だったね。」
と応えれば、妻は夫が自分の話を良く聞いてくれたことも、気持ちを分かってくれたことも感じ、大事にされた経験をするのです。

同じコミュニケーションの問題ですが、多くの女性は一日の間に夫から連絡があることも愛情の表れとして受け止めますーいや、もっと正確に言うなら、そういう連絡がないことを愛情のなさとして解釈する傾向があるでしょう。ほとんどの男性は一度に一つのことにしか集中出来ない性質を持っています。ですから、家を出て会社に行くと仕事に専念し、妻や子どものことをあまり意識せずに、連絡をとる必要性も感じずに一日を過ごします。又、必然的に男性が毎日取り組む課題もほとんど家の外のことですから、そういうことで頭がいっぱいで、奥さんが常に考えている家庭内の課題ー家族一人一人の予定や食事の準備や家計などのようなことーまで思いが行き届かないのです。しかし、妻はこういうことを「私に対して無関心」、「私を大切に思っていない」と感じることが多いでしょう。ですから夫が昼休みに「今日の調子どう?」と言う電話を入れたり、帰る前に時間をお知らせするなどをしてくれると、夫の思いやりが分かるのです。

もう一つの愛情の表れは誕生日、記念日、母の日などを覚えて、お祝いしてあげることです。こういうことに関する女性の期待は色々であることは確かですが、大切なのは一年の間に、時々、普通の生活とは違った形で「おまえは私にとって大事な存在だ」と言うことを、妻が喜ぶ形で示すことです。それは、結婚する前のお付き合いの時にはあたりまえだったことを今でもし続けることです。私(コール)は妻に出会った最初の年のバレンタイン・デーに彼女にカーネーションを一つあげたのですが、その時から毎年カーネーションの数を一つ増やし今まで毎年続けています。これは彼女にとって大きな象徴的な記念の意味をもったことで私は絶対忘れないように努力しているイベントです。

こういう愛情の表現を妨害するのは何でしょうか。日本の場合は忙しさ、そして特に仕事の忙しさが最も大きな問題でしょう。仕事に長時間を費やしている夫たちは常に急いで、疲れ果て、イライラし、これ以上自分達の生活を複雑にするものを望みません。その気持ちは良く分かりますし、ほとんどの夫たちはまさに家族のために一生懸命に働いていることも分かりますが、夫婦関係や親子関係を犠牲にしてまでも仕事の奴隷になってしまうことは決して健全なことではありません。ストレスの多い毎日や渦状な疲れに対する解決は家族のメンバーとの触れ合いをおごぞかにすることにあるのではなく、仕事のありかたをもっと賢く制御することにあるのです。それは例えば、もっと効率良く仕事する工夫をし、仕事をやめるべき時間のけじめを守り、家族のメンバーとの時間を仕事でのお付き合いより重視する心構えを持つことなどから始まります。

もう一つの障害物は男性と女性が違う「周波数」でコミュニケーションをとろうとしていることです。妻がFMで発信していれば、夫はAMで受信します。彼女が音楽で伝えようとしているものを彼はニュースとして聞き取ろうとするのです。そのため、多くの場合には妻と夫の間に理解と伝達の越え憎い隔たりが生じてきます。でも、相手が自分と同じものごとの捉え方をしているだろうと思ってはなりませんし、乗り越える努力をしなくなることも大間違いです。コミュニケーションにギャップがあるのにも関わらず、気持ちを理解したり、伝えたりし続ける努力の中に愛情の表現がなされのです。

聖書には「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」とあります。(エペソ5:25)更に、「妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵をともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」(1ペテロ3:7)ともあります。日本の夫たちがこの言葉を心に留め、自分が使えられるべき者ではなく、妻に使えるべき者だと自覚しながら、結婚に関して心の入れ替えをするならば、次のロマンス・レポートまでにはきっと輝く成績を出すことが出来ることでしょう。


FFJ 
ページTopへ

footer