pagetop Top Return

子育て 
   <子育てトップ> <幼児> <小学生> <思春期>


【子育て】

父親の子育て       前島 常郎   [マガジン PDFで読む]

 長女が生まれたとき、「うれしい」というより、「とうとう父親になってしまった」と、ひたすら不安で産院の廊下をうろつき回りました。幼稚園や学校に入ってからは、行事に出るのが苦手でした。実は、「お父さん」をする自信がなかったのです。でも、25年間を振り返ると、天の父が私の味方だったなと思います。

 天の父は、助けを求める父親の祈りを喜んで聞かれます

子育ては、何よりも母親の責任ですが、聖書は、「母たちよ、子育てに励みなさい」ではなく、「父たちよ、子どもたちを、、、、育てなさい」(エペソ6:4)と言います。母親は黙っていても心が子へ向くのに、父親は黙っていれば、心が100%仕事に向いてしまいます。でも、それでは家庭は立ち行きません。

父親としての仕事は、自力ではできません。ですから祈ります。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい」(第一テモテ2:8)
  だいたい男は、助けてもらうのが苦手です。自分は何にも困っていないと思いたいし、人にもそう見られたい。道に迷っても、人には聞きたくない。でも、強がっても神はとっくにお見通しですから、そのまま祈ったらいいのです。
「神さま、私は父親になりましたが、実は自信がありません。どうしたらいいのか分かりません、助けてください!」
天の父は、祈るお父さんを助けないではおられません。

 父には、子どもを怒らせるきらいがあります

わざわざ「子どもをおこらせてはいけません」(エペソ6章4節)と忠告されているのは、その危険があるからです。怒りそのものは罪でなく自然な感情ですが、愉快ではなく、罪につながりやすい性質があります。
「怒っても、罪を犯してはなりません」(エペソ4:26)
敬うべき父親に怒りを感じることは、つらいことです。父親は、どのように子どもを怒らせるのでしょうか? まず、

 「愛すべき時に愛さない」ことによってです。

 生物学的には父になったのに、父であることを認めず責任を取らないとしたら、子どもは激しい怒りを持つかもしれません。
  新垣勉さんは、沖縄出身のクリスチャン歌手です。母は日本人で、父は米軍人でしたが、1才の時に父は米国に帰国し、50年後のいまも行方が知れません。一時は、父親を捜し出して殺してやると決めたくらい憎んだそうです。赦す気持ちになるには、長いことかかりました。
  「抱擁するのに時がある」(伝道者の書3:5)と言われますが、幼子は、母親だけでなく、父親の抱擁も待っています。特に2?3歳の男の子は、父親とつながろうとします。その時に、父親と絆を結べないことが、男性が同性愛者になる一つの原因だろうと専門家は言います。もう一つ、父親が子を怒らせるのは、

 「叱るべきときに叱らず、怒らなくていい時に怒ること」によってです。
  「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる」(箴言3:12)

 叱ることと、怒ることはちがいます。怒るのは感情をぶつけることで、叱るのは悪いことは悪いと、びしっと言えること。これは男親のいい所です。聞き分けのない子にお母さんがヒステリーっぽく金切り声を上げる前に、お父さんが一言低い声で叱ると、お母さんは助かります。
  威厳をもって子どもを叱るには、父親自身が悪から離れねばなりません。子どもは、親の生活の裏表をよく見ています。ある人は言いました。「親が上手に隠しおおせたと思った足跡に、子どもはついていくものだ」
  ダビデ王は、情欲に負けて人妻を奪い、うまく隠したと思いましたが、似たことを息子のアムノンが行いました。ダビデ王は、息子を叱ることができなかったのです。 
また、親は子どものためを思って懲らしめるのではなく、自分の思い通りにしない子どもを、感情で叱りとばすことがあります。そうすると子どもは、叱られた苦い思い出だけを覚えてしまいます。 三番目に、

 手放すべき時に子どもを手放せない親は、子どもを怒らせます。
「抱擁をやめるのに時がある」(伝道者の書3:5)

抱きしめてやるべき時があるように、手放してやる時もあります、そのとき逆にしがみついたら、子どもは怒ります。そして親を軽蔑します。ただでさえ激しい思春期の反抗が、もっと激しくなります。

 では、どうしたらいいでしょう?
  天の父のしつけにならうことです。新共同訳聖書エペソ6章4節後半では、「主がしつけ諭されるように、育てなさい」とあります。具体的には、子どもを怒らせることの逆をするのです。

 ○ 楽しい時間をすごす

 つまり、愛すべき時に愛するのです。天の父は、私たち子どもとの交わりの時間を惜しみません。森鴎外は、子どもたちと過ごす時間を楽しむ、いい父親でした。4人の子どもたちはみな、お父さんの思い出を書きつづっています。
ある父親が、すでに成人して家庭を持った子どもたちに質問してみました。
「お前たちが子どもだった頃で、今でも残る思い出は何だい?」
ディズニーランドでしょうか?遠くに家族旅行したことでしょうか?高いおもちゃを買ってもらったことでしょうか?いいえ、答えはこうでした。
「お父さんと居間でプロレスごっこをして、腹の皮がよじれるほど笑ったことだよ」。
  子どもにとって、一緒にいてくれる親、楽しい時間を過ごしてくれる親がどうしても必要です。いっしょに時間を過ごすなら、子どもは無条件に愛されていることを学びます。それが、これからの人生で出会うすべての人間関係の基礎になります。

 ○ 天の父を教える

 自分の子に神さまを教えるのに、免許状はいりません。これは、神から親への直接命令です。
  箴言の1〜7章には、「わが子よ」という呼びかけが、二十回近く出てきます。これらは、父親ソロモンから、子どもへの教えです。ソロモンが、自分は自分の父からこう教わった、と息子に語って聞かせます。「私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、父は私を教えて言った、、、」(4:3〜4)
  何を教えるのでしょう。それは、学校の知識ではなく、神さまがおられることです。自分のことばでできなくても、本を読んで聞かせることができます。
読み聞かせには、力があります。私は子どもが0歳から読み聞かせをしました。聖書物語だけではなく、あらゆる絵本をです。家内は、「子どもたちが本好きになったのは、あなたが絵本をたくさん読み聞かせてくれたからだわ」と言います。
私が幼児の時に嬉しかったことは、風邪で寝ている私に、母が添い寝して本を読み聞かせてくれたことです。思い出すだけで、幸せになります。読み聞かせをしてもらう子どもは、本の内容だけでなく、読む人の愛情を声音を通して吸い取ります。

 ○自分を抑えることを教える
「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」(箴言25:28)

食べ物も娯楽も、欲しければいくらでも手に入る時代です。親は、何を与えるかより、何を与えないかを考えるべきです。子どもが欲しがるからといって、無制限に与えないことです。甘いものだけを与えていたら、虫歯や肥満になります。目や耳から入るものも同じです。
現代の親の大きな責任は、メディアを制限することです。テレビやビデオやゲーム類は、育ち盛りの子どもの脳の働きを鈍らせるそうです。
ケータイに熱中し、礼拝中もピコピコをやめない子がいましたが、ある時、自分から解約しました。自制心を身につけたのです。
お父さんといることが楽しければ、父のしていることを真似したいと自然に思います。お父さんを好きになるなら、天の父も自然に好きになります。お父さん、仕事は確かに大変ですが、抱っこできる時は限られています。遊んでやれるうちに遊んでやりましょう。お父さんの代わりは、誰にもできないのです。親にとっては何ということのないふれあいの時間が、子どもにとって一生の宝になるのです。


FFJ 
ページTopへ

footer