ご質問にお答えするのに、クリスチャンの経済問題カウンセラーで著書もあるロン・ブルー氏のことばを引用させていただきます。彼は、金銭管理の基本になる4原則があると言います。これを適用するなら、物質主義の罠にはまることはないでしょう。その4つを簡単に見ていきます。
第1原則 すべてのものの所有者は神である。
「神は、私どもの収入の10%、すなわちクリスチャンの行う十一献金に対する所有権があり、90%は私たちのものだ」とある人々は考えますが、これは誤りです。
私は信者が十一献金をすべきであると確信しますが、それは神の所有権が十分の一に限られるからではありません。私たちは、神が私たちに委ねてくださったものの管理人にすぎません。神が私たちの所有者であり、時には取り上げることもできます。私たちの持っているものは、神からの借りものです。
神がヨブから富を取り上げられたとき、ヨブの態度は正しいものでした。
「私は裸で母の胎から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」(ヨブ1章21節)
もしこの基本をつかめたら、消費の決断はすべて霊的なものであることが明らかになります。例えば、無駄は私たちの持ち物の浪費ではなく、神の所有物をないがしろにすることです。
意味ある目的のための出費、すなわち旅行、アイスクリーム、衣類、雑誌、テニスラケット、車、ハンバーガーなども主のお金で賄われているのです。そういうわけで、わが家では食事の前に必ず主に感謝します。食事をはじめ、すべてが神のみ手から来る贈り物なのです。
第2原則 時間と努力、お金と報酬にはいつも相関関係がある。
「タダの食事というものはない」とか「何もタダでは手に入らない」ということばを聞いたことがあるでしょう。大切な事実です。お金は、常に労働や額の汗と結びついたものと考えるべきです。 こういうふうに考えてみてください。最近購入したものでまったく無用の長物だったというものを思い浮かべてみます。棚の角に置かれたままのヒゲ剃りか、一度も手を通さなかったスーツかもしれません。それはあなたのお金で買ったものではなく、むしろお金という形に代えられたあなたの時間で買ったものです。事実上、家の場所ふさぎと地上で定められたあなたの人生の時間の一部をあなたは引き替えにしたのです。
買うものすべてがあなたの人生の一部との交換だと思ったら、やすやすとお金を使えなくなります。
第3原則 完全に独立した消費行動というものはない。
あなたが買いたい、したいと思うすべてのことを実行するお金は決してありません。億万長者でも、購買力には何らかの制約があります。ですから、一つの物を買ったら別のものまた必要なものをどうすべきか、考えねばなりません。すべてが関連しています。そういうわけで、いりもしないものに浪費する癖のある人は、さらに必要なものさらに関心あるものに出会っても手が出せないことになります。
ついでながら、夫婦はしばしばお金の使い方で口論をします。その理由は、価値観が違うため、何が無駄なのか意見が一致しないことです。
私の両親はこの点で典型的でした。父には、5ドルの狩猟用備品やテニスボールは娯楽の必需品でした。しかし、同じ5ドルでも、母が買う役に立たないじゃがいもの皮むき器は不用だったのです。父が狩猟とテニスを楽しむと同様に、母にはショッピングが楽しみであることに父の考えは及びませんでした。視点がまったく違うのです。これはどの夫婦にもよくある問題で、努力して克服すべきものです。
この第3原則を言い替えるなら、一方で贅沢をしたらどこかにつけが回ってくるということです。有能なビジネスマンは、経済上の決断をするときにははるか先まで見通しています。
第4原則 楽しみはあとにとっておくことが、経済的成熟の鍵である。
欲しいものには限りがなく、金庫の中味は限られているのですから、借金に陥らないためには欲望にストップをかけねばなりません。自制心のない人は常に借金生活をする以外にありません。支出を収入以下に抑えなければ、どれほど実入りがあっても不十分です。それで、昇給したあとでさらにひどい借金を背追い込むことがあるのです。
重要ポイントをくり返します。いかに高給取りであれ支出に歯止めをかけなければ、負債はなくなりません。国家であれ個人であれ、自らの欲望に歯止めをかけ分相応の生き方をするべきです。易しいことではありませんが、そうすればあとには大きな報いが待っています。
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