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結婚 
ドブソン博士
  ドブソン博士の一問一答
Q.404

その場合は、子どもには何も残さないということですか。財産をどうなさるのでしょうか。


A.

もし私に大きな財産があったとしたら、子どもがライフワークを得るのを助け、また家を買うのを助けてやるだろうと思います。そういう訳で、税務署で定めている相続税控除額を越えない程度を子どもに残すのが適当でしょう。そして残りは、私が価値を認める何らかの非営利団体に寄付します。無用に膨張して無駄の多い政府に不要な税金を払うことと、私の信じる団体の働きを支えることのいずれかを選べるとしたら、どちらを優先するかは自明でしょう。

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Q.405

先生は、多大な富を所有することは悪だとお考えですか?


A.

いいえ、富自体は悪ではありません。アブラハムもダビデもその他多くの聖書の偉人たちも富んでいました。聖書によれば、神はある人々に富を得る力を与えました(申命記8章18節、第一サムエル記2章7節参照)。

では、危険はどこにあるのでしょう。使徒パウロも言うように、お金が問題なのではありません。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」なのだとパウロは言います(テモテ第一6章10節)。自分の所有物を崇拝するときに、人は問題を招きます。

ここで、イエス・キリストご自身の教えがとても身近なものとなります。イエスが何よりも多く語られた話題は何だと思いますか? 天国、地獄、罪、悔い改め、愛、あるいは再臨でしょうか? 違います。それはお金と、お金についての警告です。持ち物と富についての警告はイエスの教えの中に一貫して現われます。福音書の一つ、ルカの福音書の中からいくつか引用してみます。

イエスは弟子たちの集団に言われました。

「あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから」(ルカ6章24節)
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」(ルカ12章15節)

そして、神などいらないと思っていた愚かな金持ちの話しをしました。彼は、自分の寿命はまだあると思い込んで言いました。

「『これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか』」

最後の警告はこうです。
「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」(ルカ12章19ー21節)

イエスは有力なパリサイ人を訪れ、主人に言いました。
「昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しすることになるからです。祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい」(ルカ14章12ー13節)

またイエスは、相続分を早く要求して遊女と放蕩生活に浪費した息子のたとえを話されました。(ルカ15章11ー32節を参照)

また弟子たちに言われました。
「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(ルカ16章13節)

あらゆるものに不自由しない金持ちのたとえを話されました。紫の高価な服を着て最高級の食事をしていましたが、彼は空腹で全身おできにに覆われたラザロという貧乏人には無関心でした。金持ちは死んで地獄に行き苦しみましたが、ラザロは天国に入れられ慰めを受けました(ルカ16章19ー31節)

主は富んだ役人に、持ち物をすべて売って貧者に施すように言いました。男は悲しんで去っていきました。「たいへんな金持ちだった」からです。(ルカ18章18ー23節)

最後に、イエスは弟子たちに向かって言われました。
「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」(ルカ18章24節)

イエスは信じられないほど多くのことばを用いてお金に言及しています。なぜでしょう。主が絶えずこのテーマに戻られたのは理由のあることです。イエスは、富の追及と達成には、霊的に大きな危険があると教えられたのです。マタイの福音書6章21節にその理由があります。
「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」

主は、ご自身が私たちの人生で最優先順位を占めるまで満足はされません。そこにお金の危険があります。お金が、私たちの宝、情熱、最大の愛の対象となる可能性があります。その時に、神などどうでもよくなるのです。

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Q.406

高給を得て、家を持ち、立派な車を所有し、貯蓄をするのは聖書的ではないとお考えですか?


A.

そうは思いません。テモテへの手紙第5章8節には「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです」とあります。明らかに、自分の家族の福祉に責任のある者はその面倒を見、保護しなければなりません。それで、働き、報酬を得る必要がでてきます。

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Q.407

では、持ち物やお金についての聖書的な理解とは何でしょう? 何がいけないかは分かりましたが、何が正しい生き方なのでしょう?


A.

ご質問にお答えするのに、クリスチャンの経済問題カウンセラーで著書もあるロン・ブルー氏のことばを引用させていただきます。彼は、金銭管理の基本になる4原則があると言います。これを適用するなら、物質主義の罠にはまることはないでしょう。その4つを簡単に見ていきます。

第1原則  すべてのものの所有者は神である。

「神は、私どもの収入の10%、すなわちクリスチャンの行う十一献金に対する所有権があり、90%は私たちのものだ」とある人々は考えますが、これは誤りです。

私は信者が十一献金をすべきであると確信しますが、それは神の所有権が十分の一に限られるからではありません。私たちは、神が私たちに委ねてくださったものの管理人にすぎません。神が私たちの所有者であり、時には取り上げることもできます。私たちの持っているものは、神からの借りものです。

神がヨブから富を取り上げられたとき、ヨブの態度は正しいものでした。

「私は裸で母の胎から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」(ヨブ1章21節)

もしこの基本をつかめたら、消費の決断はすべて霊的なものであることが明らかになります。例えば、無駄は私たちの持ち物の浪費ではなく、神の所有物をないがしろにすることです。

意味ある目的のための出費、すなわち旅行、アイスクリーム、衣類、雑誌、テニスラケット、車、ハンバーガーなども主のお金で賄われているのです。そういうわけで、わが家では食事の前に必ず主に感謝します。食事をはじめ、すべてが神のみ手から来る贈り物なのです。

第2原則  時間と努力、お金と報酬にはいつも相関関係がある。

「タダの食事というものはない」とか「何もタダでは手に入らない」ということばを聞いたことがあるでしょう。大切な事実です。お金は、常に労働や額の汗と結びついたものと考えるべきです。
こういうふうに考えてみてください。最近購入したものでまったく無用の長物だったというものを思い浮かべてみます。棚の角に置かれたままのヒゲ剃りか、一度も手を通さなかったスーツかもしれません。それはあなたのお金で買ったものではなく、むしろお金という形に代えられたあなたの時間で買ったものです。事実上、家の場所ふさぎと地上で定められたあなたの人生の時間の一部をあなたは引き替えにしたのです。

買うものすべてがあなたの人生の一部との交換だと思ったら、やすやすとお金を使えなくなります。

第3原則  完全に独立した消費行動というものはない。

あなたが買いたい、したいと思うすべてのことを実行するお金は決してありません。億万長者でも、購買力には何らかの制約があります。ですから、一つの物を買ったら別のものまた必要なものをどうすべきか、考えねばなりません。すべてが関連しています。そういうわけで、いりもしないものに浪費する癖のある人は、さらに必要なものさらに関心あるものに出会っても手が出せないことになります。

ついでながら、夫婦はしばしばお金の使い方で口論をします。その理由は、価値観が違うため、何が無駄なのか意見が一致しないことです。

私の両親はこの点で典型的でした。父には、5ドルの狩猟用備品やテニスボールは娯楽の必需品でした。しかし、同じ5ドルでも、母が買う役に立たないじゃがいもの皮むき器は不用だったのです。父が狩猟とテニスを楽しむと同様に、母にはショッピングが楽しみであることに父の考えは及びませんでした。視点がまったく違うのです。これはどの夫婦にもよくある問題で、努力して克服すべきものです。

この第3原則を言い替えるなら、一方で贅沢をしたらどこかにつけが回ってくるということです。有能なビジネスマンは、経済上の決断をするときにははるか先まで見通しています。

第4原則  楽しみはあとにとっておくことが、経済的成熟の鍵である。

欲しいものには限りがなく、金庫の中味は限られているのですから、借金に陥らないためには欲望にストップをかけねばなりません。自制心のない人は常に借金生活をする以外にありません。支出を収入以下に抑えなければ、どれほど実入りがあっても不十分です。それで、昇給したあとでさらにひどい借金を背追い込むことがあるのです。

重要ポイントをくり返します。いかに高給取りであれ支出に歯止めをかけなければ、負債はなくなりません。国家であれ個人であれ、自らの欲望に歯止めをかけ分相応の生き方をするべきです。易しいことではありませんが、そうすればあとには大きな報いが待っています。

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Q.409

今年の初め、11年連れ添った夫から「もう愛情はなくなった」と言われました。また家を出ていくとも言われました。出て行くのは何とか数日延ばしてもらいましたが、ある晩、捨てゼリフとともに出ていきました。
夫の顔を見る度に、私は下手に出て「たまには電話をしてよ」と頼みますが、「おまえとは話したくない」と言われます。「私はあなたを愛しているのよ」と言っても「おれには愛情がなくなった。憎んでもいないが愛してもいない」と言います。
最近、私は眼科の医者から「来週手術をしましょう。最悪の場合視力を失うこともありえます」と言われました。恐ろしくてパニックになり、夫に電話しましたが、あちらは無関心なのです。「一緒に病院に行って、手術の間待っていてくれない?」と聞いても、しばらくおいてから「そうだな、たぶん」との返事でした。どうして主人はこうなのですか? 私が何かいけないことをしたのでしょうか?


A.

つらいお気持ちは分かりますが、私は奥さんに申し上げたいことがあります。この世に愛する者の心変わりほど苦しいことはありません。しかし、神の助けによってご家庭を襲った嵐を乗り越える時がきっと来ます。

それはそれとして、あなたがご主人の注意と愛を強迫的に取り戻そうとしても、かえって和解への最後の望みを断ち切る方向にしか働いていないことを申し上げたいのです。ご主人の前で自分を卑下することによって、あなたは自尊心を投げ捨てています。自尊心は、永続的で満足のいく人間関係の必須条件ですが、あなたはそれを捨てています。

あなたが心ならずも伝えているメッセージは、こういうことです。

「あなたがいなければ私は生きていけないの。一日中あなたの電話を待っているわ。電話がならないとがっかりなの。たまにはあなたと話をさせて。あなたの好きなようにしていいの。踏みつけられても構わないわ。あなたがいなければ、どうしたらいいか分からないの」

これは典型的なパニック反応です。あなたはご主人の歓心を買おうとしていますが、それは事実上どのような人間関係においても逆効果です。

夫婦間であれ国家間であれ、これはしばしば戦争の元になります。侵略者や犯罪者を買収しようとする企ては平和を意図しているように見えますが、ほとんどの場合はさらに侮辱と摩擦とを引き起こす結果に終わります。気持ちが冷えた相手の後ろからすがりつき、身を投げ出し、泣き叫んであわれみを乞うことほど愛情に水をかけるものはありません。心変わりした相手は、すがりつくあなたを避けようとするでしょう。傷ついた相手をあわれみ後悔はしても、そのような状況で愛情が戻ることはまずないのです。

ご主人があなたから身を引こうとしているのは、自由を得たいという心なのです。窒息させられるような結婚生活から逃げ出したいのです。あなたが自己卑下し、会う度に彼のそでにしがみつくと、ご主人はますます嫌気がさします。自由を得ようともがけばもがくほど、それだけあなたのからみつく手を意識するのです。悪循環です。

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Q.410

ではどうしたらいいのですか? 夫との関わりをどのように変えたらいいのでしょう?


A.

これはあなたがしたことの中でも一番難しいことかもしれませんが、唯一望みのある選択肢は、なわ目を解き、かごの扉を開け、ご主人を解放してあげることです。あるかぎりの勇気と自尊心とを奮い起こして、以下のような真剣な会話をなさるようお勧めします。

「あなたに出て行くと言われてから、ずいぶんつらい思いをしてきたわ。あなたを心から愛してきたので別れるなんて考えたくもないの。結婚相手は生涯一人と決めてきた私には、ひどいショックなの。

でも、よくよく考えてみたけれど、わたしあなたの意思に反してあなたにしがみついてきたことに気づいたの。できないことをしようとしていたわ。

あなたに出会った頃のことを考えて見ると、あなたが自分の意思で私を選んでくれたのよね。脅迫したり、賄賂を使ったりしたから結婚してくれたわけではないわ。何のプレッシャーもなしに、あなたが自分で決めたことだった。

今あなたが私から離れたいと言うなら、私は手を放す以外にないわ。結婚を強制できなかったように、結婚生活を続けることも強制はできない。あなたはもう自由よ。もし電話が来なくても、あなたの決断を私は尊重します。

辛い経験だったけど、きっと乗り越えられると思うわ。これまでと同じように、これからも主が私といっしょにいて下さるから。楽しい思い出をありがとう。決して忘れないわ。人を本当に愛したのはあなたが初めてだった。これからも主の守りがあなたにあるように祈っているわ」

 ご主人は、信じられないものでも見るような顔をするでしょう。自分を閉じ込めていたかごの扉が少々揺れて、ゆっくりと上がり始めたのです。何年もがっちりとしばっていた彼を、あなたは解放したのです。もうあなたに言い寄られ、しがみつく手を振りほどく必要がないのです。
ご主人は思うでしょう。

「これは、何かウラがあるにちがいない。額面通りに取っちゃいかん。口では何とでも言えるさ。こう言ったらおれの気が変わるとでも思ってるな。1〜2週間もしたらまた電話してきて『帰ってきてよ』と泣きごとを言うに決まってる。こいつは弱い女なんだ。すぐにネを上げるんだから」

よくよく言っておきますが、ご主人の予想が間違っていることを証明してください。あなたにも自制心があることを彼に見せるのです。時間がたてばご主人は、あなたが本気であり、「自分は本当に解放されたのだ」と実感するようになります。

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Q.411

私の新しい作戦に、夫はどのように反応してくるでしょうか?


A.

恐らく数ヵ月間は、敵意を表わしたり、距離をおいたり、他の女性と遊んだりして、あなたの決意のほどを試そうとするでしょう。あなたが弱さやパニックのしるしを見せないかと目をこらすでしょう。あなたが確固とした態度を維持するなら、あなたが本気であり、自分は本当に自由なのだということをご主人はそのうちに納得します。

そうすると、典型的な反応は次の3つです。

 (1)かつて閉じ込められたように感じていた夫は、もう相手を振りほどこうともがく必要がなくなり、2人の関係は改善します。それで必ずしも愛情が戻るわけではありませんが、2人の緊張感はしばしばゆるみます。

 (2)態度の冷たかった夫が自由を感じるようになると、彼が抱いていた疑問そのものが変化します。それまでは「どうしたらあいつから逃げられるか?」と考えていたのが、今は「自分は本当にこの家を出て行きたいのだろうか?」と自問するのです。自由にわがままができると知っただけで、もう欲求がなくなってしまうことがあります。時には、180度転換して妻の方へ向き直ることもあります。

 (3)3番目の変化は、夫ではなくあなたの側に起きます。意外なことにあなたの絶望感は消えうせ、状況をコントロールできるようになります。涙の谷を通りながら、むなしく電話を待ち奇跡が起こるのを待つほど苦しいことはありません。

代わって、あなたは自分を大切にするようになり、自尊心を少しづつ味わえるようになります。思いきって手放すことはむずかしいことですが、その報いは十分にあります。
その1つは、自分には計画、プログラム、実行に移すべき作戦があるのだという意識です。それは以前のような絶望的無力感にはるかに勝ります。そして少しづついやしが始まります。

この方法はいつも成功するとは限りません。人間関係において万能薬などはないのです。ある人は心を入れ替えて戻ろうと決心しますし、そのまま離れていく人もいます。しかし、危機の時に自尊心を保つことによって、夫婦関係が改善する可能性は増えます。万一ご主人との仲は修復不可能であるとしても、あなたの自信は回復し、1人でも生きていくことができるようになります。

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Q.412

「閉じ込められている」と感じて、伴侶を避けるようになる人のことを知りましたが、実は私の妻がそういう状態で、もう何年も私に距離をおいています。そういう人はいったい何を考えているのでしょうか?


A.

「閉じ込められている」という感じは、結婚相手への軽蔑から始まります。例えば、夫が妻に対して、こんな気持ちを抱きます。

「ジョアンを見てみろよ。昔は可愛かったんだが、10キロも太っちゃって、かつての魅力はもうないな。他にもいろいろ、だらしない所があるし。家ン中はきたない。やりくりはまるでダメ。そもそも、あいつと結婚したのが若気の至りだったな。

これから死ぬまで、あれに縛られているのかと思うと、信じられんよ。

まあ確かに、悪い女じゃないし、別にあいつを痛い目に合わせようとかいう気はないんだけど。
しかし、これが本当に俺の人生なのかなぁ」

妻は妻で、こんなことを考えています。

「ああ、マイケル、マイケル。あなたは、私の初めの理想から何と離れてしまったの。
若い頃は、エネルギーがあって、生き生きしてたのに、なんでそんなにつまらない男になっちゃったのよ。仕事のし過ぎで、家に帰る時分にはぐったりで、私を楽しませるどころか、話をするのも億劫そうで。

あ〜あ〜、口開いたままで、ソファーで居眠りしちゃって。髪も寂しくなって来たわね。残りの人生、この男のために生きて行くのかしら。友達からも相手にされなくなったし、出世コースに乗り遅れて、もう5年以上。ワタシ、将来性のないこの人と、これからもずっとやっていくのかしら」

もし、ジョアンとマイケルがそろってこのような「閉じ込められ」感を抱いているとしたら、将来大きな問題になることは一目瞭然です。しかし、よくあるのは、あなたの場合のように、この感じを抱いているのは一方だけです。夫または妻が、自分の気持ちを相手に伝えることをせずに、一人でジリジリし始めます。人並みの同情心がある人間ならば、自分を愛してくれている人にこういう不平を漏らすことをしないものです。代わりに、その行動が、説明不能な変化をきたし始めます。

残業の回数を増やしたり、家にいないで済むことならなんでもします。イライラしやすくなり、深く考え込み、または、意思疎通が不能に陥ります。テレビのスポーツ中継に逃げ込んだり、休みには釣り仲間と旅に出たり、ゴルフに出かけたりしてしまいます。些細なことでぐじぐじと言い争いを続けるかも知れません。それからお決まりの別居をしたり、不倫相手を見つけたりします。閉塞感を抱く女性の場合も似たような間接的な方法で幻滅を表すでしょう。

要約すると、閉じ込められた感じは2つの要素の結果なのです。つまり、伴侶への軽蔑心が生まれること、そして家庭から逃げ出す口実がほしくなることです。

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Q.413

そういう「閉塞感」は、熟年夫婦にのみ起きることですか。それとも、若くてもありうることですか


A.

「閉塞感」反応は、十代のおつきあいでも、または結婚生活のどのステージでも起きうることです。ハネムーンの初日から50年後も例外ではありません。

 一方が相手に軽蔑心を抱き、「身動きがとれない」と感じる時にはいつでも起きます。男性にとっては、これが中年の危機の要であり、夫がいくじなしで自信に欠けると感じる女性に典型的に起きる反応です。離婚の大部分は、軽蔑心と結婚生活における閉塞感という、この一対の反応に起因するものと私は思います。

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Q.414

自分にとって必要と思うことのために全力を尽くすことはいけないのでしょうか。私がどれだけ彼女を必要としているかを、家内に知ってもらうことがなぜよくないのでしょう。すべてを投げ出してでも彼女の後を追いたいのに、「かくれんぼみたいな遊びをしなさい」と言われているような気がしてなりません。


A.

私が申し上げられるのは、ただ「男女のことについては、人はつかまえにくいもの、手の届かないものを欲しいと感じる傾向がある」ということです。自分から離れられないようなもの、棒で打ち払わなければならないようなものは、あえて欲しがらないのです。例をあげましょう。

奥さんとデートしている時期に、結婚を強いるようなことは恐らくなさらなかっただろうと想像します。もししても、成功しなかったでしょう。あなたは彼女を誘い出し、自分に引き付け、魅惑し、心を引かねばならなかったはずです。この求愛期間は微妙なペースで一歩一歩展開したのです。もしあなたが、彼女の首にすがりき、激しく泣いて、

「結婚してくれなければ、死んじゃうよ! お願いだから、僕をそでにしないでくれ」
などと言っていたら、どうなっていたか、想像できますか。

そういう絶望的なやり方は、単純化すればしつこいセールスマンのようなものです。セールスマンが、お客さんに涙ながらにこう言ったら、どうなると思いますか。

「お願いですから、この車を買って下さい。私は、ほんとにお金に困っています。今週は、契約がまだ2つしか取れてないんです。どうか頼みます、このまま帰らないで下さい」

これは、確かに極端なたとえではありますが、類似性はあります。男性が、結婚の可能性のある相手を好きになったら、彼は言わば自分を相手に「売り込んでいる」わけです。しかし、車のディーラーの場合と同じで、彼は買い手の自由選択権を奪ってはいけません。

そうではなく、お客さんには、「お買い徳ですよ」と言わねばならないのです。セールスマンに同情して車を買うお客さんがいないように、単なる博愛心から愛してもいない相手と結婚しようと言う人はいないのです。それほど利己心のない人はいません。

私たちはだれも、生涯にただ1人の人を選んで自分のすべてを注ぎ込もうとするわけで、単にあわれむべき相手のために、唯一の機会をみすみす無駄遣いしようとはしません。
実際、1人の人に恋愛感情を抱きながら同時にかわいそうだと思うことは、大変に困難です。

要約しますと、求愛期間に三拝九拝する方法が無駄だとするなら、結婚相手から愛想をつかされかかっている人が、なぜ同じような這いつくばる仕方で相手を自分にもう一度引き戻せると思うのでしょうか。それは、逃げ出そうとしている人に、ますます軽蔑の念を引き起こすだけです。

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「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
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