奥さんは、自分の罪をあなたに転化しようとしています。不倫をする人は、ほとんど似たようなことをします。罪意識は大変苦痛であり、新たな愛人と関係している人は、それを強く感じています。そういう人たちは、自分の良心の責めをまぎらわす手立てが欲しいのです。彼女は、家庭を破壊し結婚相手を裏切り、子どもたちを傷つけその将来を危うくしました。そのようなけしからぬ行いは、なんらかの説明を必要とします。それで、道徳的な責めに対して必至に自己弁護を始め、それで普通は夫や妻を責めるのです。
不倫の犠牲者に聞いてみて下さい。彼らは恐らく、いくつかの罪責感の源を処理するための四つの具体的でもっともらしい説明を聞いたことがあるはずです。
1 既婚者としての罪責
「自分がしようとしていることは今は辛いことかも知れないけど、これが最善だってことがいつか分かるよ。
若い頃だって、僕は君のことを愛してはいなかったんだ。そもそも、僕達は最初から結婚なんかすべきじゃなかった。それに、この離婚も本当は君のせいだ。
だって(ここに苦情の種を挿入してください。例えば、「君は不感症なんだから」、「親戚関係に問題が多いよ」、「小言が多すぎる」、「働き過ぎだ」、または以上のすべてです)」
この言い訳には、見え透いた目的があります。最初の文ですが、それは不実な伴侶の動機をみごとに浄めています。つまり「これは君のためなんだ」と言っているのです。
二番目の文章も、たいしたものです。愛する者を見捨てるんだという残酷な言い方を避け、結婚の無効を言い渡すように意図されています。「そもそも結婚すべきじゃなかったんだ」という言い方によって、結婚が、神の定められ結ばれた関係ではなく、不幸な失敗になってしまいます。(ヘンリー八世も、最初の妻アラゴンのキャサリンを追い出すのに、この言い訳を使いました)
それから、残りの責任を相手に押しつけることによって、罪ある側から被害者の側にすべての責めは移されてしまいます。結婚の誓約はこれで一巻の終わりです。次は子どもの問題に移ります。
2 親としての罪責
「子どもたちも辛いかも知れないが、長い目で見ればいい結果になるさ。
今までのように親が喧嘩したり言い争ったりするそばにいるのは、精神衛生上よくないもの。
それに、僕も落ち着いたら子どもたちとの時間も今と同じくらいとれるし」
子どもについての罪意識も、ばっさりと切り取られ処理されています。父親が他の女性と駆け落ちすることや、母親が他の男と夜逃げすることが、建設的なことだなどと誰が信じるられるでしょう。子どもたちがその大きな美しい目で見、また理解することなど、心に留めてはいません。
「ママやパパはなぜ家を出たの、
なぜもう愛してはくれないの、
神さまはなぜこんなことを許されたの、
離婚が、なぜ自分たち子どもの責任なの、
なぜ人生は、辛くて恐ろしいところなの」
こういう疑問に対して、子どもたちが引き出す結論についても、まったく関心を払っていません。感じやすい子どもの人生において、すべて信頼できるものが壊されてしまった事実など無視しています。「もうそんなことは、考えることをやめれば、心臓のドキドキも静まるさ」と言わんばかりです。
子どもについての罪責は、言い逃れが一番むずかしいのかもしれませんが、幸い今は、良心の痛みをしずめるのに役立つ印刷物やテープがいくらでもあります。
3 社会的な罪責
「友達は、すぐには分かってくれないだろう。君のお母さんがなんと言うかも聞いてみたい。でも、先週牧師さんに言った通りで、僕達が離婚するのは誰の責任でもないんだ。僕達はふたりとも成長して、お互いに合わなくなったと言うのかな。年を取れば人は変わるものだから、それに応じて、二人の関係も変わらなけりゃ」
(女性なら、こう言うかも知れません。
「それに、わたしもたまには自分のために最善のことをする権利があるわ。今まで人のために自分の人生を使って来たから、今はあたし自身のことを考える時間よ。いつかはわたしの出番があってもいいじゃない、今がその時なの。とにかく、あたしにとって正しいことは、あなたにとっても子どもにとっても最善の結果になるはずだわ」)
こういう言い逃れは、ほとんど一字一句、急進的なフェミニストの言う言葉そのものです。これは、単なるわがままが浄められ、いかにも利他的であるように作り代えられた多くの言い逃れの一つにすぎません。これで3つ終わりました。もう1つあります。
4 神からの罪責
「僕は、祈って決めたんだ。この選択は、神様のみこころだと確信している」
これこそ、究極の言い逃れです。もし創造者が、その最高の知恵によって問題を考慮し、離婚がすべての関係者にとって最善だと判断したのなら、だれが議論を続けられるでしょう。対話は終わりです。罪が、きよめられてしまったのです。罪責は抹殺されました。自尊心は回復され、なんと悪が勝利したのです。
以上4つの罪責が処理され、すべての道徳的、霊的障害は取り除かれました。さらなる不貞とそれに続く離婚への舞台は整ったのです。
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