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結婚 
ドブソン博士
  ドブソン博士の一問一答
Q.426

しばらくの間、主人が私を裏切る行為をしてきたことに気付いていました。そのことで彼をとがめ、その結果信じられないような争いも演じました。「不倫はやめて欲しい」と要求しましたのに、彼の態度と行動には何の変化もありません。私の何がいけなかったのでしょう?


A.

残念ながら、奥さんは「厳しい愛」と怒りを表すことの違いが分からなかったように思います。これはよくあることです。単に怒り、かんしゃくを起こすことは十代の子相手にも役立たないように、結婚相手にも役立ちません。叫び、責め、非難する方法は、どんな年代に対しても成功する例はほとんどありません。大事なのは、行動です。具体的な応答を要求し、ある結果をもたらす最後通牒です。あとは、その約束通りに実行する勇気です。

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Q.427

夫婦間の裏切り行為があったとき、夫と妻とどちらが立ち直るのに時間がかかりますか?


A.

不倫が発覚したときの心理的な違いについては、これといった相違は認められません。伴侶が不貞を働いた際には、夫も妻もことばにならない苦悶を味わいます。しかし、危機が過ぎたあとは男性のほうが社会的に有利な点はあります。しばしば仕事が気晴しになり、経済的なショックも比較的小さくてすみます。また一般的に言えば、男性のほうが新しい伴侶を見つけやすいのです。しかし、心の不貞行為においては勝ち負けはありません。二人とも敗者なのです。

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Q.428

裏切りの犠牲者が現実を否定する、いわゆる「盲点」があるように思われませんか。夫が私の親友と火遊びをしていたとき、私自身このことを経験しました。ついに私が事実を認めたときまで、不倫は2年間続きました。でも、なぜ私は現実を否定しようとしたのでしょう。犠牲者が現実に目を閉じてしまうのはなぜでしょうか。


A.

そういう心理的プロセスを「否認」と言い、受け入れたくない考えや事実から自分の心を守る働きをします。

いったん愛する伴侶が不貞を働いていたということを認めたら、その現状に対処することを余儀なくされます。現実を直視したら最後、悲嘆、心配、不眠という極度に苦痛な日々が避けられなくなります。

加えて、被害者が不倫をしている伴侶と対峙すると、彼(彼女)を愛人の手に追いやることになるのではないかと恐れます。こういう心配があるため被害者は、不倫が消滅するか、自分が忘れてしまうのではないかというはかない望みのもとに、意識的か無意識的にか事実を見ないようにするのです。明らかに、傷ついている人間が見て見ぬふりをする十分な理由があります。
不貞の証拠が積み重なると、夫または妻は否認を続けられるよう伴侶に「頼む」こともあります。否定されることを期待をしながら相手を責めるのです。例えば、妻が「あなた、T子さんと会っているでしょう」と聞きます。

「冗談はやめろよ。何もないって何回言ったか分かるんだ」と夫はごまかします。
「じゃあ、今朝2時までどこにいたの?」
「車が故障したんだよ。もういいかげんにしてくれよな」

夫の作り話がデタラメであることを知っていながら、妻は引き続き彼に嘘をつくことを願うのです。そして興味深いことに、妻は夫が自から裏切りを認めるまでは、自分の方から悪事を暴露する義務を感じません。夫がいつか白状するという保証はないのに。この暗黙の了解によって彼女はすべてはうまく行っているという幻想を維持し、夫が火遊びを続けられる甘えた環境を作ってしまうのです。

人間の行動の中には、否認の適用を多く見い出せます。婦人が乳房の不気味なしこりや息子の寝室の薬物を無視したり、蓄積している負債を家族が見て見ないふりをする時などです。このプロセスによって、心はしばらく苦痛を逃れられますが、結局はより大きな悲劇を呼び寄せてしまうこともあるのです。

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Q.429

否認している人にはどう対応したらいいのですか。私の友人は、妻に裏切り行為をされているのにそれを直視しないようにしています。現実に目覚めるように促すべきでしょうか。


A.

その質問に答えられる一律的な答えなどはありません。具体的な状況は無限に考えられます。時には、否認によってしか本人が正気を保ち平静を装えないことがありますから、一概に「目を覚ましなさい」とは言えません。幻想をこわすのが愛である場合もあります。どちらにせよ、夢の中にいる人を起こすには危険が伴います。もし否認への要求が強い場合は、夢から起こされた人は、起こした人を激しく非難することがしばしばです。

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Q.430

私の頭を悩ますのは、私の知っている不倫のケースの中で多くの場合、不実な側が自分はクリスチャンだと公言していることです。キリストにある幼子ではなく、酸いも甘いも噛み分けた信者です。それなにの、どうして伴侶を裏切ることなどができるのでしょう。自分の信じている道徳律を、これほどにあからさまに破る人の心には何が起きているのですか。


A.

あなたと同じく、私もクリスチャンだと言いながら伴侶以外の異性と逢瀬を重ねる人の気が知れません。

そういう人の道徳感は一体どうなっているのでしょう。彼らは「姦淫してはならない」という第七戒を暗唱でき、罪深い行為に対する神の罰をよく理解しています。それなのに、自分は神の戒めを破って罰を免れようと期待しています。

彼らの行いはただ神が禁止されているばかりか、文化社会のすべての道徳違反でもあります。それでもまだ足りないなら、不倫を犯す人は、妻や夫を虐げ、愛の結晶である子どもたち、片親のわがままと恥の行いによってズタズタにされようとしている、疑うことを知らない無垢な子どもたちの人生を狂わせるという責任と直面せねばなりません。

これらをすべて考えたら、どんな遊び人だろうと熱が冷めるでしょう。実は、不倫の道に入る一歩手前に立ち、その向こうに自分を待っているものを見て心を翻し、愛する伴侶の腕の中に舞い戻って来た人々が数えきれないほどいるのです。

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Q.431

経済的な自立の見通しが立たないために、夫の不倫を見て見ぬ振りをしている女性はどうですか。夫に見捨てられたら一文無しになるために、言うべきことを言えないとしたら。


A.

単純な答えはありません。人生には、八方ふさがりな情況があるものです。別れた夫からの経済的援助がまったくないか、わずかな養育費で子育てをしている母親の窮状がそれです。

米国厚生省によれば、これが現代米国の貧困の最大原因です。貧困層に入る人々のほぼ半数が、子育て中の離婚女性です。同じ調査によれば、離婚した母親の半数は、裁判で調停を受けたはずなのに前夫からの養育費を受け取っていません。ようやく連邦政府が、この約束不履行の父親に対処する手立てをとり始めたことは喜ばしいことです。遅すぎるくらいです。人間の生活のあらゆる面が法律や規則でがんじがらめにされている国にしては、自分の子どもの面

倒を見ない親への対処に途方もない時間がかかりました。
とにかく、貧しい母親は夫の不倫が表面化する時、極度にむずかしい問題に直面させられます。

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Q.432

不貞以外の理由で、夫婦が別居するのは間違いですか。


A.

離婚して再婚する以外の理由でしばらく別居することを禁じる命令は、聖書に見当たりません。夫婦は、時に相手の神経を逆なでしてしまうもので、頭を冷やすために一人になることが必要なときがあります。

私の観点では、別居の善し悪しは、ひとえにその目的いかんであり、神さまにしか判断できません。

例えば、夫がアルコール依存症で、家族の援助のない生活を味わう必要のある場合、専門家の援助を求めさせるには、妻がとりうる唯一の方法は一時的な別居でしょう。孤独を味わわせることが夫の目を開く最後の希望なのかも知れず、妻は夫をみじめな状態にすることによって、結果的にむしろ良いことをしているのだろうと思います。これが別居を選ぶ側の動機だとしたなら、それを非難する聖書のことばを見い出すことはできません。

ただし注意は必要です。なぜなら、結婚生活に不満を持っていて、逃げ道を捜している者には、逃げ口上を提供することになりかねないからです。私は、そういう策略を容認している訳ではありません。

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Q.433

数カ月前のことですが、夫が私と別れて、別の女のところへ行くと言い出しました。それ以来、女と定期的に会っているようですが、まだ家は出ておらず、とても混乱しているようです。体重が8キロも落ちて、げっそりしています。いったい夫は何を考えているんでしょう。自分の気持ちを話そうとしませんし、私が聞くと腹を立てます


A.

恐らくご主人は、不倫というわがままで罪深い行動に伴う強い罪意識と葛藤に悩んでいるのでしょう。心をチクチクと刺す良心という機能を、神は備えられました。でもある人々は、その声を黙殺することを学んでしまいます。

たとえ無視しても、良心は無責任な行いを執拗に責め立て、人が道徳を踏みにじることを簡単には許しません。この状態にある人が、内心の戦いを感じるのは珍しいことではなく、それは以下の3つのうちのいずれかの方法でしか解決できません。

 良心が勝利をおさめ、真っ当な生き方に戻る。
 上手に逃げ口上を作り、その結果無責任な行動がなにか純粋で清らかなもののように思えてくる。
 良心が勝つが、それでも自分のしたいことに固執する。

3番目の範疇に入る人々は、もっともみじめな種類の人々です。ご主人もそうかもしれません。それは自分自身の信念に背いており、自己矛盾を解消しようとする努力が水の泡になったのです。

別の言い方をすると、そういう人々は自分の良心と犬の喧嘩のような無駄な戦いをしていて、皆がそのとばっちりを受けるのです。そのような生活をしていると、精神的に不健康なばかりか肉体的にもおかしくなることがあります。

心に葛藤のある人は、うつ状態、体重の減少、不眠、または爪を噛むなどの問題を経験することがあります。普通の神経の人なら、極度に不愉快になります。

私の想像が正しければ、ご主人はまもなく間違いを認めてあなたの所に戻るか、もしくは別の女性の所に身を寄せるかでしょう。どっちつかずに留まっているのは、余りにも苦痛だからです。ご主人に決断を求めるのにふさわしい時かを知るためには、専門的なカウンセラーのアドバイスを求めて下さい。お話をうかがっている限り、私の言えるのはその位です。

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Q.434

どんな夫婦でも、遅かれ早かれ喧嘩はすると思うのですが、それでも心配のない場合と、ほっておいたら大ごとになる場合とをどうやったら見分けられますか。つまり、どこまでが通常のけんかの範囲でどこからが危険地域なのかどうしたら分かりますか。


A.

実際、どんな夫婦にもぶつかる時はあります。人間は、そうやって恨みつらみを吐き出します。揺らぐ心配のない家庭と危うい家庭の違いは、喧嘩のあとです。健全な夫婦の場合、ぶつかりあう時期はあってもそれが赦しあいとなり、互いの距離が縮まりより深く尊敬しまた理解し合えるようになり、性的にも満足の行く関係になります。

しかし不安定な家庭では、衝突がさらに苦痛と怒りを引き起こし、それが次の衝突まで続きます。そうなると、一つの未解決の問題が、新しい問題また次の問題にからまって、より複雑になります。どんな家庭でも、うらみが積み重なるのは不穏なしるしです。そのために、使徒パウロは「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」(エペソ4章26節)と命じたのではないでしょうか。

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Q.435

夫がひどい暴力を奮って、しょっちゅう奥さんや子どもを虐待している場合、先生はその奥さんにどんなアドバイスをなさいますか。


A.

彼女も子どもも、即座に家を出るべきです。とにかく伴侶や子どもへの暴力は許してはなりません。それは、罰を受けるべき犯罪です。虐待される状況に留まらなければならない人は一人もいません。

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「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
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