pagetop Top Return

子育て 
   <子育てプ>トッ <幼児> <小学生> <思春期>

ドブソン博士   ドブソン博士の一問一答
Q17.
ホワイト博士の調査結果は、子どもを保育施設に預けている親も応用できるものでしょうか。


A.

もちろんです。ただ、子どもが一日の大半を父母に代わる保母さん保父さんと接している場合は、困難やチャレンジがより多いとは言えます。

Qのページへもどる

Q18.
私は21歳で妊娠して女の子を生みました。父親とは結婚していません。娘はそろそろ3歳になりますが、いつかは父親のことを話さなければなりませんがどのように、またいつ話したらいいのでしょうか。


A.
ゆくゆくは父親のこととあなたご自身と彼とのすべてを話すときが来るでしょうが、今がその時ではありません。成長してすべてを消化できる心ぞなえができた時まで待つのです。

一方、その話題を忌まわしいもののように避けることも望まれないでしょう。また今は話しを適当に作り上げて後になって撤回するような事態も勧められません。

今の幼い時期には、「パパ」についての避けられない質問について確信をもって、また愛情をこめて対応してください。娘さんが質問をしてきたら、事実をすべてを語るのではなく、あいまいにした説明を与えます。

こんな風に言ってみたらどうでしょう。 「パパは、××ちゃんが生まれる前にいなくなったのよ。ママといっしょにいたくなかったの。なぜかなァ。むずかしいことがあったのかも知れないね。ママも分からない。もし××ちゃんの顔を見たらきっとかわいがってくれるわよ。でも顔も見ないうちにどこかにいっちゃったの。ねぇ、××ちゃん。××ちゃんのパパになってくれる別のおじちゃんにママが出会えるようにお祈りしてみようか」

この種の答には確かに問題もあるでしょうし、すべてのケースに適用できるとは限りません。ただ、あとになってもっと深い話しをするための基礎だけは据えることができます。同時に重要なのは、幼児の疑問がもたらす緊張感を和らげるとともに、疑問そのものを肯定し、安心感と主への信頼を彼女と分かち合うことができることです。それさえ成し遂げたなら、深呼吸をして、あとはそのままにしておくのです。あなたが安心しているなら、娘さんも安心します。

そして神様が示してくださるままに細かな事実を伝える時間はこれから十分にあるでしょう。

Qのページへもどる

Q19.
2歳の息子が礼拝中に静かにできないのにはほとほと困っています。うるさくしたらいけないのは分かっているはずなのに、おもちゃをいすにぶつけたり、時には話したりします。そういうときは叱ったほうがいいのでしょうか?


A.

お話しをうかがっていると、幼児の性質をよくお分かりになっていないという気がします。

多くの元気な2歳児にとって、大人向きの話しを手を組んで聞くことは、大西洋を泳ぎ切ることぐらい難しいことです。もじもじし、はねあがり、興奮するのはいたしかたありません。静かにさせておくことはできない相談です。この時期には目の覚めている間中動き続けるのが普通です。

ですから、罰を与えるのは賢明ではありません。保育室にあずけて、きがねなく遊ばせるのが最善でしょう。もしそういう設備がなく、経済的に許されるならば少なくとも3歳まではベビーシッターを雇って家に残したらどうでしょう。

Qのページへもどる

Q20.
5歳の息子が嘘をつくようになって困っています。どうしたら正直に話せるように教えることができるでしょうか。


A.

子どもの嘘は、親なら誰でも取り組まなければならない問題ですね。どんな子どもも時には真実を曲げて伝えるものですが、ある子らは嘘つきが常習的になってしまいます。これに適切に対応するには、子どもの発達心理とともにその子の特徴を理解する必要があります。私は一般的なアドバイスをさしあげますので、これを息子さんのケースに当てはめて適用して下さい。

まず、嘘と真実の違いが分かっていない可能性があります。学齢期前の子の心の中では、空想と現実は紙ひとえです。ですからおおげさに叱る前に、息子さんがどこまで理解しているのか、また嘘をついた意図は何かをはっきりさせて下さい。

嘘をつくのが明らかに不愉快な結果を招かないためか、あるいは何か得をしようとしている子には、親は「教えるチャンス」として生かすとよいでしょう。どんな場合でも真実を語ることを強調してください。これは子どもが嘘をついたときだけではなく、他の時でも教えるべきです。
子どもと一緒に旧約聖書の箴言6章16〜19節を開いて読みましょう。

「主の憎むものが六つある。
いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌、
罪のない者の血を流す手、
邪悪な計画を細工する心、
悪へ走るに速い足、
まやかしを吹聴する偽りの証人、
兄弟の間に争いを引き起こす者」

この聖句を使って、子どもとディボーションをしましょう。

ソロモンとはどんな人で、なぜその教えが私たちにとって大切なのか、そして聖書が私たちの導き手であることを説明します。聖書は、暗い夜の懐中電灯のように私たちの足もとを照らし、正しい道に導いてくれます。もし暗記さえしておけば、眠っている間も私たちを守ってくれます。あとでも使えるように、この箴言のみことばを一緒に暗記して下さい。

これを土台にして、神様に喜ばれる徳や行いは何かを話し合ってみて下さい。この聖句は日常生活に摘要できますから、その結果お子さんは、自分の言うことなすことが神様に見られていると感じ始めるでしょう。

嘘をつくという具体的な問題に戻りますと、神様が憎まれる七つのことのリストの中の二つが不正直に関係していることを指摘してあげましょう。真実を語ることは、神様が喜ばれることですから、私たちもこれを重要なこととすべきです。ですから、息子さん娘さんが、もし自分に不利になる場合でも真実を語ることを学ぶように教えることが必要です。目的は、あとになって正直であることを再び教えることができるような土台を築くことです。

お子さんが再びあからさまな嘘をついた時には、今回の話し合いとその基礎になる聖書の言葉に戻ることが出来ます。子どもの成長度合いに応じて適当と思われる時点で、嘘をつかないという決まりを守れなかった時は軽い罰を与えることを始めたらどうでしょう。数年はかかるでしょうが、お子さんたちに真実の大切さをしだいに教えることができるでしょう。

ただし、親自身が不正直であったら、この努力は水の泡です。子どもは親をよく見ていて、真似するものです。お父さんが、真実を曲げているとしたら、子どもに同じことをするなと言っても聞く耳を持ちません。

Qのページへもどる

Q21.
子どものアニメ、おもちゃその他の類があまりに暴力的になっていることが心配です。主人は、思い過ごしだと言いますが、博士のお考えをお聞かせください。


A.

私も同じ疑いを持っています。最近のアニメやおもちゃの中には、昔ながらのコンバットタイプのゲームとはちがってかなり危ない内容が入る傾向があります。ひとつには、登場人物が大人で、大人のする行動をすること。その行動もかなり疑わしい行動です。感じやすい子どもたちの模範になるものとは思われません。加えて、これらのプログラムや商品にはオカルトまたニューエイジ的なにおいがします。場面設定が神話的か超現代的で、アクションはしばしば迷信、まじない、魔術にからみます。以上のような理由から、私は霊的また心理的な悪影響を懸念します。

電子メディアには、これらおかしな英雄たちとそのしわざを私どもの子どもたちに売りつけるのにとてつもない力があります。専門家たちが、子どもがテレビや映画で暴力を見るときにどのような生理学的な変化を体験するかを計測しました。脈拍は上がり、眼は開き、手には汗がにじみ、口は乾き、呼級数は増えます。特に子どもがこの種の「娯楽」に繰り返しさらされる時には、劇的な影響が表われます。またそのような番組から付随的に生みだされたおもちゃは、その否定的効果を強化し、または持続させます。それに、これらの商品に積極的、健康的、また教育的な要素を加えてバランスを取ることが不可能です。

そういうわけで、私どもフォーカス・オン・ザ・ファミリーその他では子ども向きの質の良いビデオなどを作るために苦労してきました。健康的な娯楽は子どもたちに与えたいけれども、世の中の悪影響からは守ってやりたいという家族のために、選択肢を提供しなければいけません。その必要を満たすためにできる限りの努力を私どもはこれからも続けます。

Qのページへもどる

Q22.
家の中でも「ありがとう」とか「お願いします」と、子どもに言わせるべきでしょうか。


A.

 そう思います。それは、世の中には礼儀があることを教える一つの方法です。お母さんがご飯を作ってくれ、買い物をしてくれ、必要なものをくれるのですが、子どもにもそれらを正しい態度で受け取る責任はあります。子どもには感謝することを教えねばなりません。それは、家庭での基本的なマナーから始まります。

Qのページへもどる

Q23.
私の知り合いの家の子どもたちには、こちらの気がおかしくなるくらいです。今まで見たこともないようなしつけの悪さで、そばにいられると話しさえできません。なんとかしつけの手助けをしたいのですが、彼女を傷つけないで助けるにはどうしたらいいでしょう。


A.

だれかの行動や性格について傷や欠点を指摘するには、やまあらしが愛しあうようにすべきです。すなわち注意深くするのです。そうでないと、友人を失うことになります。

まして、親としての間違いを指摘するのはさらに危険が伴います。動機が正しく、相手の子どものことを考える余りであったとしても、注意した方が反対にしかりつけられるのがおちです。ですから、いかに私が必要を感じたとしても人様の子どもに対して私は求められないアドバイスはしないようにしています。

どうしても耳ざわりのよくないことを相手に対して言わなければならないとしたら、まず彼女との友情を築くための時間と労力を割くことを勧めます。注意深く信頼関係が築かれたあとではじめて、あなたはやさしくアドバイスする権利を勝ち得ることができます。このやり方に近道はありません。

Qのページへもどる

Q24.
うちの子どもたちは何でも自分でしたがります。でもうまくできないので、結局私がしてしまったほうが簡単です。子どもたちが苦労しているのを見ていることに我慢できないのです。すぐにしゃしゃり出てやってしまうのはいけないことですか。
A.

 お気持は分かりますが、やはりまずいでしょう。風邪で寝ていたお母さんの話しを聞いたことがあります。彼女のかわいい娘さんが、看護師役をかってでました。枕を整え、雑誌を手元に持ってきました。そして驚いたことに、紅茶まで入れてくれたのです。

 「まあ、いい子ねぇ。いつ紅茶の入れ方を習ったの」
母親は、紅茶を飲みながら言いました。
「ママの入れ方を見てたから。紅茶の葉をポットに入れて、お水を入れて沸かしたの。それからカップについだんだけど、茶こしがなかったから代わりにはえたたきを使ったの」
「何を使ったって?!?!」
「大丈夫よ、ママ。新しいのじゃなくて、古いのを使ったから」

子どもたちが最善をつくしてもなお失敗してしまうときに、親はどうしたらいいのでしょう。母親父親がしがちなのは、結局は失敗しそうな責任は始めから負わせないということです。後でかたずけるよりは、始めから自分でしてしまうほうが確かに簡単です。しかし、そのわなに陥らないようにと私は親たちに勧めます。

お子さんには失敗することも必要なのです。それによって学ぶのです。ですから、ゲームのつもりで楽しんでください。たとえ、少し変わった味の紅茶を飲まされたとしてもです。

Qのページへもどる

「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
International copyrights secure
d


FFJ 
ページTopへ

footer