アーマ・ボムベック女史が、この困難な過程をユーモアを込めて説明してくれたことに私自身助けられました。子どもを育てるのは、風のない日に凧を上げようとするものだと言うのです。親は糸の先についた凧を上げようと走りますが、地面をこするだけで全く上がる気配は見せません。
苦労のあげく、凧はようやく5メートルほど上がりますが、危険が突然迫ります。凧は電線に近づき、次に木の枝の方に曲がっていきます。ひやひやします。いったい空高く飛べるのでしょうか。
それから、思いもかけず凧は風に乗って昇り始めます。両親は、それっとばかり糸を伸ばします。
凧は糸を引き続け、持ち続けるのが難しくなります。ついに、糸はなくなりました。どうしたらいいのでしょう。凧はさらに自由を得ようとします。もっと上に飛ぼうとします。父親は爪先立ちして、手を上にあげて糸を引きます。今や糸は空にのばされた親指と人指し指の間にかろうじて挟まれているのみです。
ついに手放す時が来ます。糸は父の手を離れ、凧は神の創造された美しい空へと旅立ちます。
いまや水平線上に日の光を受けて輝く、針の先ほどになった「大切なわが子」を父と母は立ち尽くして見つめるのみです。子育てを終えたことには誇りは持っても、自分たちが必要とされなくなった悲しみは残ります。すべては愛による労苦でした。しかし、あの年月はどこに行ってしまったのか。
それが今のあなたの姿です。指の間に糸をつまんで爪先立っている。もう指を放す時です。そうすれば、新しい関係が生まれます。親としての役割は終わったのです。その代わりに新しい報いのある友情がやってきます。
忘れないでください。凧は遅かれ早かれ飛び去ります。それならふさわしい時に手放したほうがいいのです。
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