承知しました。応用できる6つの大きな原則を説明してみましょう。これらは私のしつけ理論のエッセンスです。
1 規則を定める前によく説明する。
どのようなしつけの過程においても最も重要なステップは、前もって理にかなった期待と境界線を確立することです。子どもには、規則に対する責任を問われる前に、何が正しく何が間違ったことかを知らせるべきです。そうしておけば、事故や間違いやしくじりで非難や罰を受けて不公平だと子どもが感じることがありません。説明もしないで規則を押しつけてはいけません。
2 反抗的に挑戦されたときは、自信を持って断固として応じる。
一旦子どもがなすべきことを理解したならば、その通り行動するように責任を取らせます。これは簡単に聞こえますが、既に申し上げた通り、ほとんどの子どもは大人の権威を攻撃し、その指導に挑戦してきます。反抗する瞬間、小さな子どもは親の思いを分かった上で無視するのです。戦いに向かう将軍のように、子どもは起こりうる危険を計算し、自分の兵隊を整列させ、火を吹く銃で敵を攻撃します。
そのような親子のぶつかりあいが起こったときは、親はきっぱりと勝たねばなりません。子どもは戦いを望んでいることを明らかにしたのであり、子どもを失望させないほうが良いのです。父母がその戦いを中途で放り出してしまうことほど、親の指導力にとって絶望的なことはありません。
親がそういう戦いにいつも負け、涙や金切り声やその他の欲求不満の印を見せていると、子どもが親を見る見方に劇的な変化がおきます。子どもの目に親が自信に満ちた堂々たる指導者としてではなく、尊敬や忠誠に値しない、骨なしクラゲと映ってしまうのです。
3 意固地な反抗と、子どもじみた無責任とは違う。
意固地に反抗しない限り、罰するべきではありません。犬に餌をやるのを忘れたり、寝具の片づけを忘れたりゴミを出すのを忘れたり、テニスのラケットを雨の中に置き忘れたり自転車をなくしたりなどは子どもには良くあることです。これは、まだ幼い心が大人の心配ごとやプレッシャーを知らないからといってもよいでしょう。優しく教え諭してください。
我慢強く教えても応答しない場合は、よく説明した後で何らかの罰を与えるのが適当でしょう。(壊したものを弁償するために仕事をするとか、これからは使えなくなるとか等)しかし、子どもじみた無責任さは意固地な反抗とは異なるので、優しく取り扱うべきです。
4 ぶつかりあいが終わったら、愛情を確かめて励ます。
親が厳しく指導した後では(特に子どもが涙を見せた場合)2歳から7歳の間の子どもは、あるいはそれ以上でも、愛し励ます必要があります。是非、両手を開いて抱きとめてやってください。
「いい子だね」と言ってあげます。優しく揺すってあげ「どうして叱られたのか、どうしたら次から叱られないですむか」を教えます。このコミュニケーションの時間は、愛と信頼と家族の一致を築くのに役立ちます。クリスチャン・ホームではその時に祈ることが大切です。私たちはみな罪を犯すのであり誰も完全でないことを、神に認めます。神の赦しを体験するのは、小さい子どもにとってもすばらしい体験です。
5 できないことは要求しない。
子どもが実行できることを言いつけてください。うっかりおねしょをした、1歳前にトイレができていない、または、余りに早いうちから成績が悪いということで罰を与えるようなことはしてはいけません。こういう無慈悲な要求は、子どもを出口のない迷路に閉じ込めるようなものです。情緒的なダメージを受けることは避けられません。
6 愛を指標とする。
偽りのない愛情を持って育てるなら、親の失敗や過ちは避け得ないとしても、おおかた健康な親子関係を築くことができるでしょう。
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