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【小学生】

ドブソン博士
  ドブソン博士の一問一答
 
Q111.

しつけについて夫と意見があわず、何が一番いいのか子どもの前で口論してしまうことがありますが、よくないでしょうか。

 
A.

そうです。特に子どもの目の前では、夫婦は一致するべきです。もし意見の合わないことがあったら、あとで二人だけで話し合えばいいのです。お二人が一致しなければ、お子さんたちは「善悪の基準なんて気まぐれだ」と考えはじめます。また、自分のほしい答えをもらうために、厳しい親を上手に避けるようになります。両親のしつけの方法が大きくちがう場合は、子どもにとってさらに深刻な影響があります。

危険な点とはこうです。私が見た中で一番敵意に満ちて攻撃的な十代は、両親がしつけの仕方において両極端に傾いている家庭でした。

例えば、父親に愛情がなく、子どもの幸せに無関心だとしましょう。きびしく体罰をする。疲れて帰宅して子どもにまとわり付かれると、払いのけるかもしれない。母親は逆に甘く、父子の間に愛情が欠けていることを日々気に病んでいる。

ついに、彼女はその埋め合わせをし始めます。父親が息子に夕食を食べさせないで寝かせた時、母親がミルクとクッキーを差し入れてあげる。父親が、子どもに「ダメ」と言っても、母親は「いいわ」と言ってしまう。子どもに面と向かう勇気がないため、彼らが何をしても母親は見過ごします。

こういう状況で何が起きているかと言えば、家庭内での権威の二人が互いに矛盾し、力を相殺しているのです。子どもは間に挟まれて、両親を憎みます。
必ずそうなるとは言えませんが、問題の起きる可能性は高いのです。もし精神的に健全で責任感のある子ども達を育てようとしたら、愛ときびしさの中間点を見い出さねばなりません。

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Q112.

私たち親の目的は、自分のことを自分ででき、自信ある子どもを育てることではないのですか。もしそうならば、親がしつけるというやり方が、どのようにして子どもの自制心を養うのでしょうか。

 
A.

親は子どもに対して受け身でいればよいと言う専門家が多くいます。その理由は、子どもは自分のことは自分で考えてほしいということです。それがご質問の背後にある考えです。

しかし、子どもはそのような自制心を呼び起こすだけの成熟さを欠くため、結局、自分をしつけることも他人からしつけられるという経験もなしに子ども時代を過ごします。そうすると、大人にはなっても、おもしろくない仕事を成し遂げたり、気にくわない命令に従ったり、年長者の指導に服すということがありません。そういう人が青年になっても、自分自身をしつけることを期待できるでしょうか。無理です。そう言う人は、しつけの意味さえ分からないでしょう。

子どもが幼いうちに、親は体罰をも含むあらゆる方法を用いて、マナーや自制心を教え込むべきだと信じます。責任感のある行動をするように教えられて初めて、子どもは自分の衝動や能力をコントロールする貴重な経験をえます。

十代に入れば、年ごとに責任が親から子どもへと移されます。幼い頃から習ったことを実行するようには要求されません。自分から動きたくなることを願ってのことです。

例えば、幼い時には、自分の部屋を掃除しなさいと教えるべきです。しかし十代のどこかで、自主性が芽生え、同じ仕事を続けて行く動機となるべきです。そうでなければ、親は子どもの部屋に立ち入らず、もし望むならばゴミの中に暮らさせればいいのです。

つまり、自律心は経験したことのない人には育ちません。自制心は、学ばねばならないこと教えられねばならないことなのです。

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Q113.

わざと反抗する子どもの行動と親のとるべき態度についてうかがいましたが、親にとって子どもの不愉快な行動はすべて反抗心と不従順から出ているとおっしゃるのですか。

 
A.

いいえ。子どもの不従順は、私が今まで説明してきた「親への挑戦的な言動」とは異なることがあります。子どもの否定的な態度は、欲求不満、失望、疲労、病気あるいは拒絶された経験などに起因するのかも知れず、注意を払うべきしるしと解釈せねばなりません。

両親にとって一番難しい仕事は恐らく、似た行動が発する二つの違ったメッセージを聞き分けることでしょう。子どもが親の言うことに従わない時は、いつも何かのメッセージが隠されており、親は反応する前に「暗号を解読する」ことが必要です。例えば息子さんは、

「ママはあのうるさい弟のことばかりかまっていて、ボクなんかどうでもいいんだ。誰もボクのことをかまってくれない。みんな大嫌いだ」

と言っているのかも知れません。反抗の背後にこの種のメッセージがある時、両親はその原因を除くよう素早く行動すべきです。良いしつけのコツは、子どもの行動の意味を正しく解釈することにあるといってもよいでしょう。

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Q114.
最近うちの6歳の娘は、家での態度がナマイキで尊大になりました。ごみを出すように頼むと「うるさい!」と言うんです。腹が立つと親をきたない言葉でののしります。感情的なはけ口を与えるのも大事と思って、特にしかりませんでしたが、先生も同じご意見でしょうか。
 
A.

とんでもありません。娘さんはわざと反抗しており、お母さんがどこまで許すかを見定めています。今もしこれを正さないと、来る思春期にはさらにやっかいになるかもしれません。

怒りと言う感情のはけ口についてのご質問ですが、侮辱的で高飛車でなければ、強い感情を表現させることはできます。「ママは、僕より弟のほうが好きなんでしょ?」「あれは不公平だよ!」というのは問題ありません。許される言い方とまずい言い方の差は、微妙です。強い不満や恨みや怒りは、もしあるなら言い表わさせていいのです。鬱積するのはいけません。

子どもが「友だちの前であんなふうに叱らなくたってよかったじゃないか」と訴えるのはいいのです。しかしながら、「ばかやろう。友だちがいたんだからほっといてくれよ!」などという言い方は、もちろんいけません。

お嬢さんが最初の言い方のように冷静に話せたら、腰を落ち着けて言い分を聞いてあげましょう。自分がまちがったなと思ったら、いさぎよく子どもに頭を下げるべきです。もし正しいと思うなら、どうしてああ言ったかを穏やかに説明し、叱られないために次はどうすべきかを教えましょう。親への敬意を失わずに感情を表すことはできますし、子どもにそれを教えるべきです。このコミュニケーション法を学んでおけば、必ず役立ちます。ことに将来の結婚生活において。

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Q115.

子どもをしつけようとする親が一番よくおかす過ちには、どんなものがありますか。

 
A.

私の見る所では、親が怒りによって子どもをコントロールしようとするまちがいだろうと思います。どんな年齢層であっても、怒りで人を動かそうというのは最も非効率的な方法です。

それなのに、多くの大人たちは子どもをしつけるのに、自分の感情的な言動に頼ろうとします。ある先生が、全国向けテレビ番組で言っていました。
「教師としては誇りを持っています。でも毎日子どもたちを教えるのはイヤで仕方がありません。生徒たちは全く言うことを聞かないので、教室の秩序を保つために絶えず怒っていなければなりません」

明けても暮れても、嫌みで怒りっぽい先生を演じつつづけなければならないとは、何ともご苦労なことと言わねばなりません。しかし多くの先生や親は、それ以外の指導を知らないのです。これでは疲れますし、効果がありません。

自分自身がどういう風に人から動かされ、人の怒りにどう反応するかを考えてみたら分かり易いでしょう。

今晩帰宅途中に60キロばかりスピード違反をしたとしましょう。街角にお巡りさんが立っていますが、あなたを捕まえる方法がないとします。パトカーもオートバイも持っていません。肩章もピストルも青切符もありません。できることは、ただ街角に立ってスピード違反をしているあなたに向かってののしるだけです。お巡りさんが顔を真っ赤にしてこぶしを振り上げるのを見て、あなたは減速しますか? しませんよね。そばを通り過ぎながら手を振って挨拶するかもしれませんね。怒ったからといって、お巡りさんは何も成し遂げることはできません。ただ漫画のように見えるだけです。

一方、バックミラーの中に黒と白の車が頭上に赤いランプを回しながらあなたに近づいてくるのをバックミラーで見ることほど、あなたの運転を変えるものはありません。路肩に停車すると、威厳があり礼儀正しい警官が運転席に近づいてきます。2メートルもあろうかという大男で、ローンレンジャーの様な声をし、銃を右の腰に下げています。

彼は丁寧ながら毅然とした態度で言います。

「お急ぎのところ恐縮ですが、レーダーよると40キロ制限のところを100キロで走っておられたようですね。免許証を拝見します」 

警官は革表紙の召喚状を開いて、あなたの方に顔を寄せます。敵意を表したり、非難をしたりはしないのに、あなたは無抵抗です。まごまごしながら、気に入らないポラロイド写真のついた免許証を財布の中から取り出します。

なぜあなたの手は汗ばみ、口はカラカラなのでしょう? どうして心臓は喉から飛び出しそうなほど脈打っているのでしょう? それは、警官がしようとしている手続きが不愉快極まりないからです。あなたのこれからの運転癖を劇的に変えてしまうのは、警官のこの一連の行動なのです。

 怒りではなく、懲らしめがお行儀を直すのです。実は、大人の怒りは子どもの心に軽蔑心を引き起こすと私は信じます。「親が怒るのは、事態をどうにもできないからだ」と、子どもには映るのです。正しいことを教えようとするのですが、効果がないのでやたらと手を振り回し、涙を流さんばかりにして実行もしない脅迫をくり返すのです。

お聞きしますが、あなたご自身はそんな感情的な方法で法律を守らせようとする裁判官がいたとしたら、尊敬なさるでしょうか? 答えを待つまでもありませんね。ですから、法律の世界は意図的に、客観的で合理的で、威厳に満ちたものとされているのです。

私は、親たちや先生方が自然な感情を子どもたちに見せるなと言っているのではありません。あるいは、すべてをうちにしまいこみ、応答をしない、面白味のないロボットのような人間になれと言っているのでもありません。子どもが侮辱的な態度を取ったり、不従順になることはありますし、私どもがいらだつのも無理のない場合はあります。そういう場合は、むしろ怒りを表現するべきです。さもなくば、偽善者でしょう。

私の言いたいのは、怒りがしばしば子どものお行儀を直すための道具として意識的に使われるということです。しかしそれでは効果がないばかりか、信頼を失うことにもなるのです。そうではなく、あなたの子どもに適当な罰を定めるようにするのです。そして、冷静にそれを実行してください。

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Q116.
これまでに親としてずいぶんまちがいをしてきたことが分かりました。これからでもやり直しができますか。
 
A.

時間がたつにつれて、子どもに対する親の影響力は減りますが、正しいやり方に遅すぎることはないでしょう。幸い私たち親は、子育てで多くのまちがいをおかすことが許されます。子どもは柔軟性に富み、親の判断のあやまりによって取り替えしがつかないことなどめったにありません。それはありがたいことです。なぜならどこにも完璧な親はいませんから。

それに子どもを傷つけるのは、親が時折おかすまちがいではなく、むしろ、良くない条件の下で長いこと悪い影響にさらされ続けることなのです。

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Q117.
子どもは、どの程度親を恐れるべきでしょうか。  
A.

適度で健全な尊敬と、破壊的な恐れとの差は微妙です。親に逆らうとどんなことになるか、子どもはだいたいのことを知っているべきです。しかし、親の厳しさに悩んだり、どんな罰が来るだろうかと疑心暗鬼で夜も寝られないのでは困ります。この違いを説明するのには、こんなたとえが役立つかもわかりません。

往来の激しい高速道路は、散歩をするには危険すぎます。実際、金曜日の午後6時に高速道路の追い越し車線をぶらぶらするのは自殺行為です。私は、スピードを出す自動車のこわさが分かりますから、そんなところで運動不足を解消しようとするほど愚かではありません。しかし、私が馬鹿なまねをしないかぎり、無闇に怖がる必要もありません。私が道路交通法を無視した時にのみ車は凶器になるのであって、高速道路や車自体にはとりたてて恐怖を感じません。

同じように、私は自分の子どもにも私を同じように見てほしいのです。娘が私に、あからさまにまた強情に挑戦してこない限り、彼女はまったく安全です。私がまゆげをかく度に、身を引いたり尻込みしたりする必要はありません。私が彼女をバカにしたり、不親切に扱う恐れを持つ必要はありません。私に逆らうまでは、まったく安心してよいし、安全です。しかし反抗した時には、その酬いを味わわねばなりません。

「畏敬」とか「尊敬」とか呼ぶにふさわしいこの種の恐れは、神と人との関係をモデルとしています。「神を恐れることが知恵の初めである」と教えられています。神は、正義の神であると同時に、永遠の愛とあわれみの神です。この属性は補足し合うもので、我々の家庭の中にもあるべきものです。

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Q119.

子どもからのお願いに「いいわよ」と言わないで、大して強い理由もないのに「ダメ」と答えてしまいがちです。どうして、こう反射的に否定的な答えをしてしまうんでしょうか。

 
A.

「ダメ」と言うのは口癖になりやすいのです。
「外へ行ったらいけません」
「クッキーを食べたらだめよ」
「電話を使ったらいけません」
「友だちのうちでお泊まりなんて、許しませんよ」

許してあげてもいいことなのに、考える先に口が動いてしまいます。なぜでしょう。

「いいわよ」と言ったら、その後どうなるのかを、ゆっくり考えようとしないからです。また、親の仕事や心配が増えるかも知れません。危ない目に会うかも知れません。一日のうちに、「あれしてもいい? これしてもいい?」と、あとからあとから子どもは聞いてくるので、全部「ダメ」と言ってしまいたくなるんです。

余りにむちゃな要求は、受け入れられないということは子どもにも学んでもらわなければなりませんが、親は子どもの一つ一つのお願いについて、丁寧に答える必要があります。人生には、叶えられない望みが余りにも多いのですから、できる限り「いいわよ」と言ってあげて下さい。

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「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
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