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ファミリー 
ドブソン博士
  ドブソン博士の一問一答
 
Q.217

時々私は、世の中のすべての悪から子どもたちを守れるようなところ、私が育てられたようなところに行ければと願うことがあります。でも、そんな隠れ場などは勿論どこにもないですよね。

Q.218
ドブソン先生が「クリスチャンの親として最も大切なのは、子どもたちにイエス・キリストのことを教えることだ」とおっしゃるのを聞きました。私たちは最近信仰を持ったばかりで、親としても新米です。娘に信仰を伝えるには、どうしたらいいんでしょうか。
Q220
子どもがすぐに飽きて集中力をなくすので、有意義な家庭礼拝が持てません。聖書を読む間も、あくびしたり、もじもじしたり、くすくす笑いをします。祈りや神のみことばを学ばせるのは、大事と思いますが、どうしたものでしょう。
Q.221
私にとって、神を理解するのは結構大変でした。今だってどれくらい分かっているかは怪しいものです。どうやって子どもが神さまのことを正しく知れるのでしょうか
Q.222
「子どもは、親を神とだぶらせて見る」などと言われると困ります。とても、そんな期待には応えられません。
Q.223
子どもに信仰を教えるのに、一番大切な時期はいつですか。
Q.224
子どもの時、クリスマスは1年で一番好きなときでした。救い主の誕生についての話を聞くのが好きでした。また、イブの夜にサンタさんがやってくるのを待つという特別の楽しみもありました。私と同じような楽しみを子どもたちにも味わわせてあげたいのですが、クリスチャンの友人の多くは、クリスマスのお祝いに、おとぎ話的な人物を入れるのはまちがいだとか、有害だと考えているようです。先生はどうお考えになりますか。
Q.225

子どもには、信仰について自分で決めさせるべきではないでしょうか。何を信じるべきだなどと言うことは、宗教を無理矢理に押しつけることになりませんか。

Q.226

信仰深い親の子でも、時にはひどい反抗をし、教えられた信仰に戻ることがないこともあるという、先生のお話がありました。神を愛し、熱心に教会生活をしていた素晴らしい家族に同じようなことが起きたケースを、私も知っています。でも、これは聖書の言っていることに矛盾しているようにみえます。箴言22章6節には、「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」とありますが、これをどのように解釈されますか。一読して、「賢明で、献身的なクリスチャンの子は、信仰を失うことはない」ということを意味しているように思えます。信仰から迷い出た子らもすべて、遅かれ早かれ神さまの囲いに戻って来ると、約束しているのではないでしょうか。

Q.227

箴言の解釈について、先生は強い確信がおありになりますね。その過りには、どんな悪影響があるのでしょうか。

Q.229

私たちは子どもが生まれる前から、一人一人のために祈っていました。生まれた後も、毎日のように名前をあげて主の前にとりなしてきました。ところが3人のうち真ん中の娘が信仰を拒み、本人も分かっていながら誤った道に歩んでいます。現在、2度も離婚歴のある男性と同棲していて、結婚する意思は全くないようです。私たちの知る限り2度中絶し、ことば遣いなど聞くに耐えません。
妻と私は精根尽きるまで祈りましたが、娘は教会に戻る気がないようです。私たちの祈りに応えてくださらない神に対して、時々強い怒りを抑えられません。涙がかれるまで泣きました。とりなしの祈りなどささげる価値がいったいあるのでしょうか。父なる神が介入されない領域があるのでしょうか。

Q.230
それは大変に神学的に深い内容ですね。神がとりなしの祈りにどう応えられ、強情な心をどう扱われるかを知ることは、誰にもできないのではないでしょうか。
Q.231

ということは、娘が信仰に戻るまで何年でも祈り続けるべきだということでしょうか。同じ祈りを何度も聞かされて、神はお怒りにならないのでしょうか。本当にこれが主の御旨にかなったとりなし方なのでしょうか。

Q.232
子どもたちの救いのために、私は妻と一緒にこの25年間忠実に祈ってきました。しかし、神さまがその祈りを聞いてくださったというしるしは、一つも見られません。神さまが私たちの家族を愛しておられることは知っていますが、私はがっかりしています。私たちの信仰がもう一度生き返るようなおことばを何かいただけないでしょうか。
Q.233
私も家内も、最近信仰を持つようになったのですが、子育てには失敗したなと思っています。今は、成人した子どもの事で、親として後悔が多いのです。親として、今からできる事は、何かありますか。
Q234
私には、孫が14人おります。よく孫たちの世話をしますし、それが喜びです。でも、ただ子守りをするだけでは物足りないのです。本当によい影響を残すにはどうしたらいいのでしょうか。
Q.235
私は、神さまが奇跡をなさること、そして死人さえよみがえらせることを知ってはいます。でも、正直に言えば暗闇の中を通るような時に神に頼ることは難しいのです。それは私の信仰が足りないからでしょうか。
Q.236

主は今も奇跡を行われると信じますか。それとも、神が超自然的な介入をされる時代は終わったのでしょうか。

Q.237
神は人間のプライドを憎まれると先生はおっしゃいますが、それはどういう意味でしょうか。人類の偉業や発見は誇るべきではないでしょうか。現代科学、医学、芸術などに先生は感嘆なさいませんか。ある程度の自己満足や自信のどこがいけないのでしょうか。本当に神が存在するなら、人間がいつも物乞いのようにはいつくばってばかりいるのを、神が喜ばれるとは思えませんが。
Q.238

どうしたら神の御心は分かるのですか。天から声が聞こえて来るわけではありません。人間は、神の御心をただ推し測ることしかできないのですか。

Q.239

自分の感情に頼れないならば、どうやって神さまの正しい御心を知ることができますか。

Q.240
クリスチャンが痛みや苦しみについて語るとき、ほぼ例外なくローマ人への手紙8章28節にある「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」という聖句を引用します。しかし、どうしてこの聖句が真実だと言えましょうか。ドブソン博士ご自身が認めるとおり、信者も未信者と同じく苦難を体験します。それなら、どうしてすべての困難を「益としてくださる」と言い得るのでしょうか。
Q.241

辛酸をなめるような体験の渦中でも、神は私たちを見放しているのではないと聞きましたが、その意味が良く分かりません。神は私たちに辛いトンネルを通過させる、とはドブソン博士が既に述べられたことですが、では困難な日に私たちは一体何を神から期待したらよいのでしょう。

Q.242

私は、神さまがとても近くにおられて、私の人生を喜んでおられると感じる時があるかと思えば、神さまが遥か遠くに離れていらっしゃると感じる時があります。神さまの励ましとご臨在がコンスタントに感じられない時に、どうしたら信仰生活をしっかりしたものにすることができるのでしょうか。

Q.243

うちの3人の子どもはケンカばかりしていて、こちらがおかしくなりそうです。なんで仲良くできないんでしょうか。

Q.244

子どもたちの間にそれほどねたみがあるなら、兄弟同士の生来の敵対心を最小限に押さえるには親はどうしたらいいでしょうか?

Q.245

兄弟ゲンカをさけるために、親としては具体的にどんな注意が必要ですか。

Q.246

娘が2人いますが、姉の方は毎年申し分のない成績をとります。妹はいま6年生ですが、勉強に退屈していて努力さえしません。私の目には、恐らく妹の方が頭がいいように思えてやきもきします。どうして、実力を出そうとしないのでしょうか。

Q.247

時々私は、子どもが親の注意を引くためにケンカや言い争いをするのではないかと感じます。もしそうなら、どうしたらいいでしょう。

Q.248

私は、不公平にならないようかなり努力しているので、恨みあう理由はないはずですが、子どもたちはケンカをし続けます。どうしたらいいんでしょう。


「ドクタードブソンの一問一答」の翻訳については、ファミリー・フォーラム・ジャパンがティンデール社から許可を得ています。

Excerpted from COMPLETE MARRIAGE AND FAMILY HOME REFERENCE GUIDE ・ 2000
by James Dobson Inc. Used and translated with permission of Tyndale House Publishers.
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